虐待 のラビリンス

2018年6月8日

虐待のラビリンス

抜け出せない迷宮

虐待 は当事者にしかわからないのかもしれない。

いや、当事者であるからこそわからないのかもしれない。

だから、あの地獄のような迷宮から、いつまでも抜け出すことができないでいる。

何が正しくて、何が間違っているのかを判別する人としての感覚中枢が、

何かの拍子に一瞬にして麻痺し、野獣と化して牙を剥く。

振り下ろされた鋭い爪は、全身に無数の弧を描き、

重なり合う不規則な赤のラインは、時間とともに紫色に腫れ上がる。

許しを乞い続ける小さな叫び声は、野獣に届くはずもない。

ただ、
耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、

野獣が疲れて、人の皮を被り直すまで、耐え続けるしかない。

悪魔

幼い子供が虐待によって殺されてしまった事件をニュースでみた。

普通に考えると、親が子供を虐待するなど想像もつかないはずだ。

しかし、事件は起きている。テレビや新聞で報道されていることは、多分氷山の一角で、実際にはまだまだたくさんの虐待被害の子供達が存在しているのだと思う。

虐待をする親は世間面は大変良い。というか、世間体をかなり気にするタイプだろう。

その上、臆病でコンプレックスの塊でありながらプライドが高く、自分自身を常に正当化しようとする、卑怯極まりない連中だ。

自らのイライラから生じる異常な暴力の捌け口は、常に弱い立場のものに向けられる。

無抵抗の子供は格好の餌食となり、”暴力”を”教育”という文字に都合よく変換して、本能のままに殴る。

何度も殴る。

自分の手が痛くなれば、道具を使って殴る。

道具が壊れれば、別の道具で殴る。

何度も殴る。

その姿は悪魔そのものだ。

拭えない傷

私は7歳から9歳までの2年間、祖母に引き取ってもらうまで、ほぼ毎日のように虐待され続けた。

ニュースで取り上げられた虐待で命を落とした幼い子供達は、私よりも小さく、そして長い間虐待され続けてきたのだと知り、本当に苦しく辛かっただろうと心から思った。

虐待は教育ではない。

虐待を受けた子供は大人になっても、その心の傷を拭うことができない。

あの苦しみは、決して永久に忘れることができない。

今この瞬間にも虐待に苦しんでいる子供達がいると思う。

どうか、人の心を失わない大人達よ、無力な子供達を悪魔から救ってくれ。