アルコール依存症の恐怖8

2018年7月27日

アルコール依存症8

無償の愛

Tさんは、私が知り合った人の中でも
1、2位を争うくらいの良い人でした。

怒るということを長い人生の途中で、
どこかに置いてきてしまったようでした。

物腰は柔らかく、
相手の話は最後まで聞き、
余計なアドバイスはしない。

とっても失礼な言い方ですが、
どうして一人でいるのかわかないくらいです。

そのTさんが、伯父の異変に気付き始め、
私に連絡を頻繁にするようになるまで、
それほど時間はかかりませんでした。

アルコール依存症が進んだ中毒者は、
アルコールが摂取できるところに自然に誘われていくようで、
伯父にとってTさんは格好のアルコール窃取先でした。

厳しい私の元を離れ、深夜の印刷工場で働き、
そこで知り合ったTさんが、とても優しい方だったので、
新たな寄生先に選んだのだと思います。

Tさんは、高齢にもかかわらず、
孤独に生きている伯父をかわいそうに思ったのでしょう。

もしかすると、同じように独り身のTさん自身が
何か重なる境遇の様な物を感じていたのかもしれません。

知り合ってからすぐに、自らアパートに招いて、
伯父の昔話を面白おかしく聞いて楽しんでいたのだそうです。

住んでいた世界が違うもの同士は、
片方が優れた聞き役に徹することで大いに盛り上がり、
話し手は有頂天になります。

次第に酒の量も増え、伯父のアルコール摂取は限界を迎えようとしていました。

隙間の先に見えたもの

「伯父さんの様子が変なんだ」

Tさんから電話で伝えられました。

私は、伯父がどのように様子がおかしいのかを聞くこともなく、
「Tさん、私今からそちらに行きます」
と告げました。

しかし、Tさんにも都合があるからということで、
一週間後の水曜日の夜にTさんのアパートの垣根から部屋の中を覗くことになりました。

そして、こう告げられました。

「今ね、直接伯父さんに合うのはやめたほうがいいとおもうんだ」

「多分ね、フリオ君のことを見たら、伯父さん発狂してしまうかもしれないんだよ」

実は、伯父はすでに身動きすらできない状況にあり、
私に対して恐怖を抱いているらしかったのです。

Tさんは、仕事をしながら伯父の食事の世話をし、
風呂に入れないため、濡れたタオルで体を拭いてあげるなど、
身の回りの世話をしてくれていました。

赤の他人のTさんが、アル中の伯父をここまで面倒を見てくれていることに、
驚いたとともに、申し訳なさで胸がいっぱいになりました。

水曜日を迎え、仕事を早退してTさん宅を目指しました。

初めて降りたその街は、とても静かで、
あまり人とすれ違うこともありません。

Tさん宅を見つけ、こっそりと垣根の隙間から慎重に部屋をのぞき込むと、
申し合わせたように不自然にカーテンが空いたままになっており、
伯父の姿を確認することができました。

その姿は、もう、私の知っている伯父ではありませんでした。

布団から上半身だけ起き上がり、
何かおかゆの様なものを食べさせてもらっている伯父は、
認知症を患った老人そのものでした。

数分間、伯父の姿を眺めた私は、
自分を責め始めました。

私が何もできなかったから、
こんなことになってしまった・・・・と。

後日、この先どうすればよいのか見当もつかなくなった私にTさんは、
「このまま様子を見るしかないね、危険な状況になったら連絡するから」

「フリオ君は仕事頑張って、伯父さんのことは僕に任せて!」と、
伯父の面倒を継続してくれることを申し出てくれたのです。

私は感謝で言葉も出ませんでした。

宣教師ジュリアーノ

Tさんには友人がたくさんいます。

しかも、いろいろな国籍の友人たちで、
みんなTさんを大好きなのです。

Tさんは8か国語を操る語学の達人で、
あの日もイタリア人のジュリアーノと流暢なイタリア語で話をしていました。

私がジュリアーのを紹介されたとき「チャオ」とあいさつされたのを覚えています。

ジュリアーノが宣教師で、
よく車を運転して出かけるというような他愛もない話を、
Tさんがトランスレートしてくれている時に、
私の名前がスピーカーから流れました。

気が動転していた私を、
必死に落ち着かせようとしてくれていたTさんと、
ジュリアーの脇を通って、
私は一人で病室に向かいました。