アルコール依存症の恐怖10

2018年10月18日

許容範囲

好き勝手に生きていくことは、
とても魅力的かもしれませんが、
何かしら成長につながる多少のストレスも、
人生には必要だと思います。

しかし、その僅なストレスでも限度を超えてしまうと、
不安や恐怖で心が覆われ、
自分自身が見えなくなってしまうかもしれません。

私がアルコール依存症の伯父と関わってからの数年間は、
まさに高レベルのストレス状態が続いていたので、
心身ともにギリギリの状態でした。

それでも友人達の支えや励ましがあったので、
なんとか乗り越えてくることができました。

ですから毎週一回のお見舞いを欠かさず、
伯父の病状の確認を怠りませんでした。

順調に回復して行く姿は、
私の気持ちに安心をもたらしましたが、
病気の平癒は伯父を再度引き取ることを意味するので、
とても複雑な思いでした。

(ずっと、このまま精神病院にいてくれたら・・・・)

正直、そのように思っていたと思います。

私には、もう一度伯父を引き取る心の余裕がなくなっていたのです。

しかし、伯父を拒否すること自体が、
人間として間違っているような気がして、
心の葛藤に苦しみました。

そんな時に伯父の病院から祖母を連れてくるように言われたのです。

祖母は両親が離婚をした際に私と弟を引き取り、
その後再婚した父の元に戻った後にも、
虐待を受けていた私を保護する意味で再度引き取ってくれた救世主です。

私と弟を両親に代わって養ってくれたのが祖母でしたから、
私にとっては親以上の存在でした。

しかし、伯父の妻や私の母、
継母と常に仲たがいをしており、
様々なトラブルの中心にいたのも祖母だったようです。

伯父や両親の離婚の原因の一部には祖母の存在があり、
何もわからない私と弟、そして腹違いの妹は、
大人たちの自分勝手なわがままに翻弄され、
みなバラバラに生活することになってしまうのですが、
その中心にいたのが祖母だったのかもしれません。

その祖母を父の車で病院に連れて行きました。

診察室に通され、祖母と私と父が担当医と話をしました。

うろ覚えですが、
伯父のアルコール依存症の原因の一つが祖母の存在であることを、
オブラートに包んで説明されたように記憶しています。

事前にアルコール依存症の本を読んでいたので、
もしかするとその本の内容とごっちゃになっている可能性もありますが、
祖母の存在はアル中の伯父にとっては、かなりマイナス要因だったようです。

伯父と祖母を引き合わせないようにする必要があったのか、
そういうわけではなかったのかはわかりませんが、
結局祖母はその一日だけ病院に呼ばれ、
その後父の家に戻りました。

それから数日が経ち、
今度はその祖母から連絡が入りました。

なんと、私のアパートに来るというのです。

親以上の存在である祖母からの話を断ることはきませんでしたが、
どうして父の家ではだめなのが分かりません。

私の住むアパートは6畳一間でしたので、
祖母の荷物を入れることすら厳しい状況です。

しかも部屋は2階で階段が急だったので、
祖母が上り下りするのは現実的ではありませんでした。

そこで、たまたま空いていた1階の空き部屋を、
大家さんにお願いして格安で貸してもらい、
そこに祖母を住まわせることにしたのです。

祖母は70を超えておりましたが元気だったので、
身の回りのことは心配いりませんでしたから、
私はたまに顔を見せて、
買い物や外出の付き添いなどをしていました。

幸せの時間

伯父との生活に比べれば、
祖母との生活は部屋も違いましたから、
特段ストレスに感じることもありませんでした。

私は仕事が忙しかったので、
毎日祖母に顔を見せることはできませんでしたが、
徐々に近所の方とも仲良くなったようで、
私はとても安心していました。

伯父の見舞いは続けていましたが、
祖母のことは一切話しませんでしたし、
祖母にも伯父のことは話しませんでした。

伯父は断酒をするグループに入り、
自立して生活することになったので、
心配していた私やTさんとの同居はなくなり、
新天地で新たな生活を始めることになりました。

あの日に戻らないということだけで、
今までの苦労がすべて報われたような気がしました。

普通の生活を送っている方々からすれば、
このような状況を幸福と呼ぶことはおかしく思うかもしれませんが、
私にしてみれば、ようやく普通の生活ができるという確信こそが、
幸福この上ないことだったのです。

人は未来を見通す力など持っていません。
しかし、直面する不安やちょっとした幸福を時と場合によっては、
不思議と察知することができることがあります。
私は絶望ではない未来をその時に見ることができたのです。

父とTさんに伯父の今後を伝えて、
伯父の社会復帰を陰ながら応援することを確認し合いました。

私は、伯父が新たに引っ越したアパートを訪問し、
お互いの今までのことを許し合い、
そして今後を激励し合いました。

その頃の数ヶ月間が、
当時の私にとって、
苦労から解放された最高に幸せな時間だったと思います。