アルコール依存症 の恐怖13

2019年1月7日

アルコール依存症の恐怖13

罵倒

年齢の割に、老化によるくぼみが比較的少ない目を、
大きく見開いた祖母の視線は、真っ直ぐ私に注がれ、
ピーンと張り詰めた数秒の間は、
あたかも裁判官に判決を言い渡されるのを待つ被告人のようでした。

ジャン・バルジャンの訴えが聞き入れてもらえなかったように、
私はパンすら盗んでいませんが、
何を言っても無駄だということを予め理解していました。

「何も答えてはいけない」

心の中で防衛プログラムが作動しました。

祖母は
「お前が盗んだんだろ!」
という趣旨の暴言を、
石礫を私にぶつけるように吐き続けたのだと思いますが、
私は一切覚えていません。

自己防衛は、
祖母の声を耳の入口で無意識に防ぎ、
心に落とさなかったのだと思います。

もし、全ての言葉をまともに聞いてしまっていたら、
私は自分を保てなかったかもしれません。

どのようにして祖母の部屋を後にして、
自分の部屋に戻ったのかも思い出せません。

ただ、とても辛く悲しかったという印象だけが、
なんとなく残っています。

その後、祖母とどのように関わったのかさえ、
あまり思い出せないのですが、
私は嫌な出来事を振り払うように仕事に集中し、
時々義務感で伯父を見舞うようにしていました。

断酒

伯父のために何かを成し遂げたとは思っていません。

厄介事を振り払おうとしていただけです。

自分ばかりが不幸な目に合うことを誰かのせいにしたくても、
転換先が見つからないから自分が動くしかなかっただけです。

私の予想に反して伯父の病状は思いの外改善し、
断酒を勧めるサークルに所属して、
社会復帰の可能性も出てきたと聞きました。

このことには誰より私が驚きました。

伯父が病院に運ばれた時
「あと2日遅れていたら助からなかった」
と医者に告げられた時には想像すらできませんでした。

とは言っても、
伯父の社会復帰を心配しないではいられません。

アルコール依存症の怖さを目の当たりにしてきた私は、
いくら伯父が断酒ができたとしても、
社会復帰してしまったら、
たちまちスリップし、
元の木阿弥になると確信していたからです。

断酒するためのサークルはいくつか存在しているようですが、
私が伯父から教えてもらったのは、
「断酒会」と「AA」という団体でした。

どこの団体がどのような活動を行っているかなど、
私は一切知りませんし調べることもしませんでした。

当時はインターネットが無かったので、
簡単に調べることができなかったのです。

入院中の伯父が病院の中で自分で調べたのか、
ケースワーカーに紹介されたのかは不明ですが、
ある団体に所属し断酒を必要とする人達とともに、
社会復帰を目指していたようです。

私は、伯父がどのような経緯でその団体に入り、
どのようにアルコール依存症を克服してきたのか、
全く興味が湧きませんでした。

伯父への関わり自体が心の負担だったからだと思います。

伯父の断酒の期間は一切が不明なので、これ以上何も書くことができません。

私は、アルコール依存症から抜け出す肝心なストーリーを、
残念ながら見逃していたのです。

しかし、不思議な事が起きました。

今でもその瞬間を思い出すと、鳥肌が立ちます。

年末の大掃除で、
何年もの間引き出しの奥にしまってあった書類を、
妻のリクエストで整理し捨てることになったのですが、
たくさんの不必要な書類に挟まって茶封筒が出てきました。

私は全く記憶にありません。

誰がこの引き出しに入れたのかもわかりません。

何年も開くことのなかった書類ですから、
いちいち確認せず捨てても困らないと思いましたが、
私はその茶封筒の中身を取り出しました。

出てきたのは二つ折りにされた原稿用紙です。

10枚がホチキスで留められており、
全て鉛筆で文章が書いてありました。

私や家族の誰でもないその筆跡は、なんと伯父のものでした。

伯父が断酒についての自分の考えを文章に残していたのです。

それが先日偶然見つかったのです。